Football in Japan
[Today's Story]
日本のサッカーはどうあるべきなのだろうか?
古くは蹴鞠に始まり、19世紀頃サッカーが英国人により伝えられ、
第二次世界大戦後にJFLが始まり、そしてJリーグが1993年に始まった。
戦後の高度経済成長で日本は世界先進国になった。
この時期の必死の努力のおかげで、日本は豊かになった。
アマチュア競技だったサッカーもプロ化の希望が見えてきた。
元FIFA会長アヴェランジェはこう言った。
「ワールドカップを日本で開催したい」
現在、2008年。J開幕から15年が経った。
W杯出場を果たし、開催もした。最高の成績は02年のベスト16。
2年前の2006年。やはり国中が期待した、ジーコジャパンに。
しかし、期待とは裏腹に予選敗退。
中田英寿はピッチで大の字になって倒れた。
野球のワールドベースボールクラシックで世界制覇を成し遂げた日本代表。
その主将だったイチローのようにはならなかった。
共に冷静で実力は申し分ない。だが、情熱の温度が違っていたように思われる。
情熱<passion>が何よりも重要であることは疑いない。
中田英寿に情熱が一切無かったと思ってるわけではない。
だが、イチローの方が情熱的だった。それがチームメートたちにも伝わった。
チーム一丸となった。
もちろん、中田英寿に敗退の全責任があるわけではない。
2試合連続での猛暑の中での試合がこの結果の要因の1つだろう。
これは稀なケースであった。
ドイツとの時差のため、テレビ局側は深夜に放送するしかなかった。
しかし、少しでも早ければその分多くの人が見る。視聴率は上がる。
広告収入に支えられているテレビ局。
それを支配する電通。
テレビ局側の思惑を電通が聞き、
キックオフ時間を炎天下の昼間にするようFIFAに介入した。
テレビ局が最高視聴率を記録したと嬉しそうに騒いでいた一方で、
日本代表やサポーターたちは悔しさに泣いた。
猛暑の中でサッカーをしたことはあるだろうか?
あれほどの悪条件はない。集中できない。倒れる。
鍛える以前に鍛えられない。わけがない。
精神を強くしろという精神論ではない。
高校野球に代表される日本の野球は精神面が重要視されている。
しかし、サッカーはそれとは違う。
炎天下で練習したって、効果が出るとは思わない。まともな練習ができないのだから。
炎天下での試合となれば、選手たちの疲労は相当な物。
相手チームも条件は一緒だろう。
それに異論は無いが、2試合連続で炎天下というのは多いに異論ありだ。
日本サッカーは一体となって進んでいるだろうか?
ジーコを熱望し独断で代表監督へ招聘した川淵三郎キャプテン。
監督の経験0にも関わらず。
そんな川淵氏は今もJFAのトップに居座っている。
現在日本サッカー協会特別顧問の森健児氏は、彼を独裁者と批判している。
07年冬。オシム監督が病気で倒れた。
監督としても人間としてもとても尊敬できる人物であっただけに、これは残念だった。
しかし、後任になぜ岡田武史なのか?
初出場は別にして、98年W杯で惨敗を喫したではないか?
彼の経歴を見なければならない。
早稲田大学卒業後、古河電工に就職。
同じ経歴の持ち主は・・・川淵キャプテンだ。
今年、イギリスのFAの会長が交代した。
新会長は、サッカーの草の根活動の見直しと共に充実化に取り組んでいる。
TV収入により貧富の差が広がったイギリスサッカーを、少しずつ変えようとしている。
サッカーが危険な状態になっているからだ。
日本とイギリスのサッカーの歴史は違う。
だが、このイギリスの判断を日本も見習うべきだろう。
まだまだ改善すべき点がたくさんある、
サッカーを本当に日本へ根付かせるために。
Ryo2412