English Football and the Moral 3
[Today's Story]
先日、David Beckhamがイングランド代表100試合出場を達成した。
フランスとの親善試合で、結果は0−1で敗れたが、記念すべき日だった。
メディアは評価を与え、批判する。
試合内容やベッカムに対して、様々な意見が翌日の新聞で報道された。
その中で気になったのが、Times紙が「ベッカムはこれで終わりか?」という質問を
ネットで読者に聞いていた。
このように、サッカー、ことベッカムに対してこの国は厳しい。
特にMLSのLos Angels Galaxyへ移籍してからは、悲観視的または批判的な意見が多い。
29日にGuardian紙がこの記事は、その一例だろう。
http://football.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,,2269239,00.html
批判精神に欠けたジャーナリストは困りようだから、それはそれで構わない。
だが、なぜ肯定的な記事が全く書かれないのか?
多分、それはベッカムがあまりにもビジネスに突っ走っているからだろう。
数多いスポンサー契約に、Coolなモデル。
アメリカで映画スターとなって大金をさらに稼ぎ、セレブ生活を満喫―そんなことが報道された。
そんな生活では、プレーの質は低下し、もはや一流プレーヤーではなくなる。
つまり、もうトップアスリートではなくセレブとして扱われる。
先程紹介したGuardian紙の記事も、チームの成績は振るわない一方でクラブ収益は増加と、ビジネス面を強調。
あたかもベッカムが利益をもたらすビジネス商品でしかない、という印象を私は受けた。
ここにもFootball Businessの負が明らかに見える。
このビジネスの恩恵を莫大に受けているベッカムは、
adidas社や他のスポンサーの商品・広告として使われている。
しかし、サッカーが大好きなベッカムは、もっと評価されても良いと私は思う。
ヨーロッパで優勝することは素晴らしい。
でも、ある国のサッカーレベルを上げることも同じくらい素晴らしいことではないだろうか。
Jリーグにも、数々の偉大なる選手たちが来ては、日本のサッカー発展に貢献してくれた。
いくら年俸が魅力的だったとしても。
このような選手たちは、サッカーの発展に欠かせない。
一方で、貧富の差が広がっている。
ベッカムなど一流選手が得る高額な年俸や報酬はその1つ。
実力主義では、実力のある者がより多くの報酬を得る。これが悪いわけではない。
問題は、お金が下部リーグのクラブや地域に回らないことだ。
プレミアリーグが放映権で潤っていく一方で、地域は貧困の一途を辿った。
子供たちがサッカーを辞めていった。
ジャーナリストのDavid Conn氏はこれを「矛盾」と糾弾している。
http://football.guardian.co.uk/News_Story/0,,2266483,00.html
最近になってFAはようやく動いた。
グラスルーツの子供たちやコーチ育成を支援するための4年計画「national game」を発表した。
日本のJリーグには「百年構想」がある。
地域社会をサッカーなどのスポーツで活性化しようとすることは素晴らしいと思う。
地方切捨ての政策が推し進められている現段階では「光」が必要だ。
だが、これにも資金がいる。
スポンサー撤退が起きていることを忘れてはならない。
地方衰退が言われる今日、地元の中小企業はスポンサーになれるだろうか?
クラブ増加でサッカー人気の拡大を目指すJFA。
地域密着、地元のチーム、というのは大切だ。
しかし川淵キャプテンは、この現状をきちんと認識しているのだろうか?
「国家の実力は地方に存する」
地方が繁栄しなければ、日本のサッカーの真の発展は見られない。
イングランドのFootball Businessも、日本にとって、対岸の火事ではない。
Ryo2412